Dream Japan

vol.8:
John Lennon - "A Very,Merry Christmas & A Happy New Year!"

(ジョン・レノン - "ベリー・メリー・クリスマス & ハッピー・ニューイヤー!")

(2011/12/25)

ジョン・レノン-1940年10月9日に英国リバプールで生まれたジョンは、父と母と幼少期に離れて暮らすことになり、ミミ伯母さん(母の姉)に育てられた。

しかし、この特異な経験が結果的に、後の音楽家としての特殊な才能を生み出すこととなった。

母ジュリアが近くに住んでいることを知ったジョン少年は、時折、実母の元を訪れるが、母からの数少ない直接の教えであるコードを必死に覚えることで母の愛情を注入した、音楽にのめり込んでいく。きっとジョンにとって母からのコードは天の声(Heaven's Voice)に聴こえたであろう。

「クオリーメン」というバンドを結成した直後にポール・マッカートニーと出会い、ジョンよりはるかにうまいポールのギター・テクニックに驚いてメンバーに誘ったと言う。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でも再び有名になった「ジョニー・B・グッド」(ジョンもジョニーだ)を歌っているチャック・ベリーや、エルビス・プレスリーらに憧れ、中でもエルビスの「ハートブレーク・ホテル」を聞いて、「ロックの洗礼を受けた。」と後に語っている。

そして14歳の夏、母ジュリアを交通事故で亡くす。ポールも母が既におらず、彼との絆は深まる出来事であったが、後にこの時の心境を、住まいであった「ストロベリー・フィールズ」にちなんで、「ストロベリー・フィールズ・フォエバー」という曲にしている。

その後リード・ギタリスト、ジョージ・ハリスンがポールの推めで加入し、ジョンがベース、ポールがリズム・ギターになったり、時折変わったり、曲によってメインとサブのボーカルが代わるなど、多様な編成をする。

バンド名も「クオリーメン」、「ジョニー&ザ・ムーン・ドッグス」、「ザ・シルバー・ビートルズ」と変わっり、「ザ・ビートルズ」になった際にはドラマー、ピート・ベストが加入し、ロンドンに進出した。

そこで彼らより売れていた「ハリケーンズ」のドラマー、リンゴ・スターがピートと入れ替わりで最後に加わり、最強の「ザ・ビートルズ」の4人組が結成されることとなった。

リバプール・カレッジ・オブ・アート大の同級生だった最初の妻シンシアと結婚してジュリアン(あまり会えなかった母親ジュリアの名前が由来と言われる)と名づけ、第一子も授かった。

8年の間に全12枚のアルバムで"世界一のロック・バンド"の名を欲しいままにする大ヒットの連発で、英国から全世界で「ビートルマニア」なるファンたちが増えていったが、ポールとジョンがメインとコーラスを交互に担当し、ジョージやリンゴも時には歌うという編成が、ケミストリーとハーモニーを生むという大ヒットのひとつの要因だった。

アルバムとしての転機は、「サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」であり、それまでのアイドル、いきおいのあるロック、ポップ路線から、多様なジャンルにとらわれないアルバム全体としての曲づくりがより一層高まり、音楽性、芸術性も徐々に高くなっていった。その後に発売した2枚組アルバム「ザ・ビートルズ」や「アビイ・ロード」、「レット・イット・ビー」らの名盤では成熟した音楽性の高い楽曲を披露していくこととなった。

甘い声質のポールが「イエスタデイ」、「ヘイ・ジュード」、「レット・イット・ビー」などの不朽の名作を歌うことも多く、作曲面でも最も多くのNo.1を得ているが、ジョンの方が音楽的価値、実験性が高いとも言われ、後述する名曲の数々も生み出している。

また、N.Y.で活動していた一部の人にしか無名だが、新進の前衛的な芸術家であるオノ・ヨーコと出会い、彼女のロンドンでの個展での藝術作品、特にジョン・レノン博物館がさいたま市にあった頃には日本でも観た人もいようが、虫眼鏡が天井から吊るされているしかけの作品の発想力にジョンは心酔したといわれる。

ポールはビートルズの名曲「ゲットバック」(松井秀喜選手が始めてNYヤンキースで自身の登場曲にした曲)では「ゲットバック、ジョジョ(帰ってこい、ジョジョ、ジョンの愛称)」とジョンに対して歌っていたが、遂には、ポールとジョンの関係性が悪化し、解散に至ってしまった。

ジョンはポールの離脱からの解散を残念がり、当初は歌詞の中でも含めた舌戦が展開されたが、「ポールの悪口を言えるのは自分だけだ」と言って、他の人が悪口を言うことは一切、許さなかった。

ソロになってからは、ジョンはプラスティック・オノ・バンドでオノ・ヨーコと活動を共にし、平和活動家としてベトナム戦争反対表明や、英国がベトナム戦争を支持した際にはエリザベス女王から授かった勲章を返上したりとそれまで以上に社会的にも独自の道を進み、アクティブな動きをみせた。次男のショーンが生まれ、ルーツであるアイルランド語でポピュラーなジョンを意味するショーンと、日本語の太郎をミドルネームに、ショーン・タロウ・レノンと名づけた。(ホンダのCMで「ちょうどいいホンダ」といっているのがショーンだ。)また、音楽面でも、オノ・ヨーコの作品「グレープフルーツ」からインスパイアされた「イマジン」などといった不朽の名作を残し、詩の卓越性は彼の秀でた才能をあらためて明示したものとなった。

1980年12月8日-NYのダコダ・ハウスで、ジョンは、「ジョン・レノンは二人いらない」といった言葉を発し、片手に小説家サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)」をもった男の凶弾に倒れた。

世界中のファン、ミュージシャンたちがこの事件にショックを受け、同時代から活躍して親交もあった、よりワイルドな英国の偉大なロックンロール・バンド、「ザ・ローリング・ストーンズ」のリード・ギタリスト、キース・リチャーズは「ジョンを殺した犯人には、憎しみが薄れることはなく、増すばかりだ」と怒りを露わにした。

とりわけ1964年から66年の英国チャートは、常にビートルズかストーンズが1位に君臨し、ボブ・ディランとサウンド・オブ・ミュージック以外は入り込む余地がなかったとまで言われていた”盟友”の死を惜しんだ。

しかし、オノ・ヨーコを中心に、毎年、12月8日頃にはジョンの意思を継いだ「ジョン・レノン・スーパーライブ」が日本で開催され、ゲストも坂本龍一、桑田佳祐、奥田民生、ミスチル桜井、吉井和哉、斉藤和義、BONNIE PINK、LOVE PSYCHEDELICOら毎回錚々たるメンバーが参加し、ジョンのメッセージを後輩ミュージシャンたちが受け継いでいる。

11th ジョン・レノン スーパーライブ 2012年1月1日夜7:00~8:54 BS朝日で放映

毎年12月は、ジョンの命日月であると共に、彼の愛と平和のメッセージのこもった、"Happy Christmas(War is Over)"が街から流れてくる。数多くのクリスマスの名曲が生まれた今日でも、決して色褪せることのない、不朽の名作であり続けている。


◆"State-of-the-Art Point":

"Love & Peace"-ジョンが唱えた究極のメッセージであり、歌詞を含めて"Imagine"を超える名曲はいまだにない、という人もいる位だ。

ジョンが音楽界にもたらした功績は、「ザ・ビートルズ」の卓越した歌詞、優れた名曲の数々だけでなく、その後のソロ活動でも今なお、多くのミュージシャンに技術・精神面でも影響を与え続けていることである。

マイケル・ジャクソンが「スリラー」の大ヒット後に、ビートルズの版権を買ったことも有名だが、ライバルと目されていたザ・ローリング・ストーンズでさえ、ビートルズのカバーをしている。

ジョンの曲の特徴は、2枚組アルバム「ザ・ビートルズ」でも展開されたようにロック、ハード・ロック、ブルーズ、サイケ、空しいバラッド等多様なジャンルに渡るが、「アートラウンジ」では、彼の名曲ベスト10を考慮してみよう。

1. Imagine

言わずと知れた不朽の名作であり、ジョンの最高傑作だろう。オノ・ヨーコもインスピレーションを与え、"Love & Peace"という後世の活動を代表する楽曲だ。

2. Happy Christmas (War is over) - John Lennon & Yoko Ono

"Love & Peace"をテーマにしたクリスマス・ソングである。クリスマスでありながら、"War is over"と歌うのが、ジョンらしいセンスだ。

3. Love

ジョンのソロにおいて、"愛"をピュアに歌った 1曲だ。

4. All You Need is Love

ビートルズの「マジカル・ミステリー・ツアー」の最後を飾る名曲で、ストーンズのミック・ジャガーが当時ビデオにも出演していた。

5. Come Together

ロックならこのカッコよさ、渋さ、満載の名曲だ。マイケル、エアロスミスら多くのミュージシャンにカバーされている。

6. Across the Universe

"Nothin' gonna change my world..."(何も僕の世界を変えられない...)という少年時代のジョンを回帰させる空しい気持ちがつまった名曲だ。

7. Don't Let Me Down

「僕をがっかりさせないで」 と力強く印象的に歌うジョンの歌声が映える曲だ。

8. Lucy In The Sky With Diamonds

アルバム「サージェント・・・」からの代表曲。「ルーシがダイアモンドを持って空を飛んでたよ」というジュリアンの言葉から作られた曲だが、LSDを連想させると話題になってしまいジョンが驚いたというエルトン・ジョンやU2のカバーでも有名な曲。

9. Give Peace A Chance - (John Lennon's) Plastic Ono Band

これもPeaceを歌う、ジョンのプラスティック・オノ・バンドでの名曲だ。

10. The Ballad of John & Yoko

「ジョンとヨーコのバラッド」、ジョンがビートルズ時代に二人の愛を歌ったノリとユーモアのある曲だ。

他にも、

I am the Warlus"
オレはセイウチだ!という意味が物議をかもしたビートルズ時代の曲

(Just Like) Starting Over
テレビ朝日「マツコ&有吉の怒り新党」挿入曲にもなっている

Stand By Me 1975(Cover)
名曲「スタンドバイミー」の力強いカバー

Twist and Shout (Cover)
カバーだが、初期の代表曲のひとつである、"シェキラベイベー"はこの曲から

Power to the people"
内田裕也氏の登場曲というか、女性、人種など人民の力を歌った曲だ

Working Class Hero"
何故この曲が多くのミュージシャンにカヴァーされるのか?労働者、肉体労働者の苦悩を如実に現した辛辣な曲だ!

"Strawberry Fields Forever"
少年時代の「ストロベリー・フィールズ」での思い出の曲である!

など、ジョンのリードボーカルでの名曲は多々あり、その時によって順番も変わるであろうが、""Help","She loves you","please,please me","Revolution","Mind Games"等の人気曲も漏れるほどの名曲の多さでここでは紹介しきれない程だ!

ジョンは"Happy Christmas(War is over)"の中で、"A very,merry Christmas,and a happy new year"と歌い、その次に"Let's hope it's a good one(year), Without any fear"と続けている。

震災などの天災や、欧州経済危機、またジョンもそうであったようにさまざまな人災にも見舞われた多くの人々にとっても、新年こそは、文字通り"Happy New Year"となり、"Happy"で、何の恐れもない(without any fear)ことをジョンと共に、願い、想像(Imagine)したいものである・・・。

"A very,merry Christmas ,and a happy new year,let's hope it's a good one,withou any fear..."