Dream Japan

vol.10:
"Madonna & SuperBow XLVI !" - Madonna's New Ambition

("マドンナとスーパー・ボウル46" - マドンナの新たな野心 )

(2012/3/24)

マドンナ-1958年8月16日米国ミシガン州生まれのマドンナ・ルイーズ・ヴェロニカ・チッコーネは、イタリア系アメリカ人でGMのエンジニアである父と、マドンナと全く同じ名前のフランス系カナダ人の母との間に生まれた。

実母を5歳で亡くした事で、異常な父への独占欲が強まったと後にマドンナは語っているが、自動車産業にひしめくミシガンから、NYにダンサーとして上京し、実に3億枚のアルバムを売り上げる世界No.1セールスを誇る女性アーティストになっていった過程は、彼女の大胆かつ挑発的なアティチュードの現れであり、しばし、"Queen of Pop"(ポップスの女王)とも呼ばれる。

1984年には"Like A Virgin"の大ヒットで人気に火がつき、"Material Girl"、"Dress You Up"などのヒットで、同世代のシンディ・ローパーと凌ぎを削り、シンディに名曲"Time After Time"や"All Through the Night"等があったため新人賞はさらわれたが、次のアルバムでは巻き返し、83年はマイケルの年、84年はプリンスの年、85年はマドンナの年、とまでいわしめた。 1982年のデビュー・アルバム"Madonna"から、実に2年でスターダムにのしあがったのである。

85年から87年まではNo.1のオンパレード。シングル"Crazy for you"をヒットさせ、"USA for Africa"が巷で流行しているときからずっとチャートの上位に位置し続け、86年のサード・アルバム、"True Blue"からの"Live to Tell","Papa Don't Preach","Open Your Heart","La Isla Bonita"などのヒット曲の連発で実にU2の"With or Without you"やBon Joviの"Livin' on A Prayer"等が出るまで、"Careless Whisper"やソロの"Faith"らをヒットさせていたジョージ・マイケルや"Saving All My Love For You"、"I Wanna Dance With Somebody"等をちょうどヒットさせはじめた2012年に死去したホイットニー・ヒューストンと常にチャートで凌ぎを削った。

全米を代表するアーティストが参加した"USA for Africa"には、プリンスとマドンナというアメリカを代表するアーティスト二人は出演していない。それぞれ個別には、シングルを提供している。それ程、マイケルとプリンスとマドンナのトップ3の関係は緊張の中にあったと言えるであろう。

その後も"Like A Prayer"、ガガの盗作疑惑が出たが逆にエールを送った"Express yourself"、"Who's that Girl"、"Cherish"、"Hanky Panky"、"Vogue"、"Erotica"、"Secret"、"I'll Remember"、"Take a Bow"、"Frozen"、"Ray of Light"、"Music"、"I Deserve it"、"American Life"、Duran Duranの"A View To A Kill"以来の英米No.1にはならなかったが、007の主題歌を歌った"Die Another Day"等とヒットを飛ばしていった。

しかし、本当にマドンナの存在を改めて知らしめたのは、11thアルバム"Confessions on the Dance Floor"からのシングル、"Hung Up"(ハング・アップ)の大ヒットだろう!

このアルバムで80年代のマドンナの復活、また新たな若いファン層の獲得にも成功し、全世界で1,000万枚以上のヒットを飛ばした。

次の通算12作目となるアルバム"Hard Candy"では、"Miles Away"や"4 minutes"らのヒットを飛ばし、Warner最後のアルバムとなった。

2012年3月26日に通算13作目となった"MDNA"を発表!"MDNA"はMADONNA(マドンナ)の省略文字であるが、ドラッグ"MDMA"を彷彿させるなど物議をかもしつつ、レディ・ガガらも所属するもはや時代の先端の象徴となったInterscope Recordsからの移籍第一弾アルバムとしてリリースされた。

シングル、"Give Me All Your Luvin'" ft. Nicki Minaj & M.I.A.、"Girl Gone Wild"や秋に公開予定のマドンナ自身が監督を務めた映画「W.E.」からのバラード"Masterpiece"などの曲が含まれている。

同年2月5日には、第46回スーパー・ボウルのハーフタイムショーに出演し、古代ローマ兵やシルク・ド.ソレイユのメンバーを携え、しっかり2011年の大ヒット・ユニットLMFAOの"Party Rock Anthem"とのミックスや、ニッキー・ミナージュ、M.I.A.らをフィーチャした新曲"Give All your Luvin''"ら5曲の圧巻のステージを披露し、視聴率は実に47.8%を記録した。


◆"State-of-the-Art Point":

「マドンナ」というのは、アメリカにおける大胆さと挑発とセクシーさの象徴的な存在であったが、多くの世界および日本のアーティストも含めたファンを抱える一方、アンチも多く、音楽界最高の権威と言われるグラミー賞の受賞歴は意外と少なく、映画は大抵、アカデミー賞でなく、最悪の映画を選ぶゴールデン・ラズベリー賞(通称、ラジー賞)の常連である。

スーパーボウルではこれまで、マイケル・ジャクソン、ポール・マッカートニー、U2、ジャネット、ザ・ローリング・ストーンズ、プリンス、ブルース・スプリングスティーン、エアロスミス、ザ・フーなどのスターが出演しているし、もはや21年も前になったホイットニー・ヒューストンの国家斉唱などの印象的なショーがみられたが、これほどまでに優勝チームがわからなくなるのではないかというほどの話題をさらったのは初めてかも知れない。

とにかく、報道はマドンナ一色で、ニューイングランド・ペイトリオッツとニューヨーク・ジャイアンツの対戦自体は、4th Qにジャイアンツが大逆転で21-17で勝利し、MVPにはイーライ・マニングが選ばれたのであるが、まるでMVPは「マドンナ」であったかのような、後日の報道ぶりであった。

かつて「チアガールをやっていた」というマドンナが50代になってこの名誉あるチャレンジで「最もリハーサルをした」と語るほど、緊張をもって「スーパー・ボウル」のハーフタイムショーにのぞんだ勇気には敬意を表したいが、80年代の絶頂期でないこの時期に全世界の注目のショーに出ることで健在振りをアピールし、3月末にニュー・アルバムを出してそのシングル"Give All Your Luvin'"でアメリカン・フットボールをモチーフにする・・・何とも野心的なマドンナが、今もそこにいるのである。

マイケル・ジャクソンとの共演を望んだが実現せず、「押し入れにとじこもってなさい」(Keep in the Closet)と言ったことで、マイケルはナオミ・キャンベルとのデュエットとして"In the Closet"という曲を作ったと言われており、俳優ショーン・ペンにはじまり、前夫ガイ・リッチー、ホセ・カンセコ(Oakland A'sのかつての主軸)、A・ロッド(N.Y.ヤンキースの4番)、プリンスにバック・ダンサーなどなど噂になった男性の数もハンパなく、まさに欲しい物は手に入れる性質、自由奔放といってよい。

かつても映画へのチャレンジは無謀と言われた。何故ならどんな役を演じても「マドンナ」にしか見えない、と言われ、これはアクの強いタレントの場合は往々にして言われる批評であったが、なかなか評価を得られないでいた。

しかし映画「エビータ」での"エバ・ペロン"が歌う"You Must Love Me"や、"Don't Cry for Me Argentina"は感動を呼び、ゴールデングローブ賞などを受賞した。

1992年には「プリティ・リーグ」(原題"A League of Their Own")でオスカー俳優、トム・ハンクスらと共演し、"This Used To Be My Playground"を彼女のビルボードでの10度目のNo.1ソングに導いている。

1943年に第2次世界大戦のさ中、MLB選手も徴兵に呼ばれ試合開催が困難になる中、女子野球リーグ創設を試みた時代を題材としており、夫の戦死や、厳しい野次にも耐えながら、プレーする女子野球選手らの姿を描いた映画である。

90年日本公開のアカデミー賞受賞映画「フィールド・オブ・ドリームス」でレイ・キンセラを演じたのはケビン・コスナーだったが、実はトム・ハンクスがオファーを断っての後任であり、その2年後にトムがマドンナとの共演を受諾したことも今となっては、面白い逸話である。さらにその後93年「フィラデルフィア」、94年に有名な「フォレスト・ガンプ」でトムが2年連続でアカデミーを獲ったことも興味深い。

2011年は日本の女子サッカーが世界一に輝いたが、2012年には7月よりオリンピックもあり、また、8月からは女子野球のワールド・カップがカナダで開催される。

女子のスポーツは暫し、マイナー・スポーツとして扱われてきたが、そういった強いメンタリティと華麗さ、純真さを表現できる舞台として近年は見直されており、2012年8月の女子野球W杯カナダ大会にも注目が集まってもらいたいものである。

個性の強いマドンナには賛否両論もあろうが、くしくも日本の女子野球は「マドンナ・ジャパン」と命名されており、強くたくましく、大胆な女性の象徴であれば、彼女のイメージにもマッチしており、そういった強いメンタリティをもって活きる女性の象徴として、今後も活躍を続けてもらいたいものである。

マドンナの主戦場である"音楽"への理解を深めるためにもアートラウンジのベスト10を以下に付記しておこう。


■ マドンナ・オフィシャル

1. "Like A Virgin" - やはりNo.1はこれだろう、と思ってしまう、代表曲だ。
2. "Material Girl" - No.2もこれだろうと思ってしまう。化粧品ブランドにもなっている。
3. "Crazy for you" - マドンナのバラードとして初の全米NO.1曲であるこの歌がトップ3だ。
4. "Hung Up" - マドンナ復活!を印象づけた2000年代最大のヒットシングルだ!
5. "Papa Don't Preach" - パパおこらないで、という10代の女性の妊娠という問題を歌にした大ヒット曲である。
6. "Dress You Up" - 非常にテンションのあがるアップテンポなヒット曲だ。
7. "La Isla Bonita" - 美しい島、マドンナのスパニッシュ・テイストのヒット曲だ。
8. "Live to Tell" - バラードとして長期に渡って全米No.1を記録したヒット曲である。
9. "Give Me All Your Luvin' ft. Nicki Minaj & M.I.A." - 最新の新曲がここに入る!こんな曲を平然と歌うマドンナの年齢を感じさせないパフォーマンスがみられる。
10. "Hanky Panky" - マドンナの魅力が表現できているパフォーマンスに優れ、舞台「シカゴ」や「コーラスライン」らの主演も彼女なら出来る、と思わせるJazzyな曲だ。

これらの曲以外にもファンそれぞれのヒット曲があろうが、強いメンタルと大胆さと挑発と野心の象徴的な存在であるマドンナはNew Albumを聴く限り、まだまだ"現役"である。

今秋には、自身の監督映画、「W.E.」の宣伝とワールド・ツアーに娘のLourdes(「ローデス」、マドンナの方針でフランス人学校で育ったため、「ルルド」とマドンナに呼ばれている)をひっさげて世界を飛び回ると噂されている。

かつて「マリリンの再来」と言われたマドンナを今では誰もそう呼ばなくなった。逞しい女性としてだけでなく、「母」としてのマドンナの姿があり、決して数を競うものではないがTwitterに全世界に実に2,000万人のフォロワーがいると言われ、注目度が飛び抜けているレディ・ガガらでさえ、その背中を追っているように見えてしまう時があるほどである。

とにかく、マドンナの野心と挑戦には、まだまだ続きがありそうだ!